─ 川崎協同病院と出会ったきっかけを教えてください。普通、医学生は6年生の時にマッチングシステムに参加して研修病院を決定するはずですが…僕の場合、大学卒業後3年間の空白期間を経て研修病院を探し始めました。なので、マッチングに参加する事なく、自分で色々な病院にアクセスしました。ただ、経歴が若干異色なため、なかなかいい反応をもらえず、面接はおろか病院見学にさえ辿り着けないといった状況でちょっと困っていました。そんな中、病院見学、面接を快く受け入れてくれたのが川崎協同病院でした。
─ 実際に、病院見学に行って感じたことは何ですか?すんなり受け入れてもらった事で、逆にちょっと警戒してたんですが、見学に行ってみると、異色な経歴の人だらけ(笑)。自分が普通に見える環境だったので…「なるほどね」と妙に納得してしまいました。そこで現在の上司となる和田先生と出会うわけなのですが、先生は「どんな経歴の人間でも、我々は実際に会って話してみて採用を決めている」とフラットな状態で受け入れてくれました。そして、医療現場から離れて久しい僕にもわかるように、地域医療を熱心に語って下さいました。今だから言えますが、正直あの時は採用してもらえるかで頭が一杯でそれどころではなかった(笑)。そんなこんなで川崎協同病院で医師を始める事となりました。
─ 川崎協同病院での初期研修はどうでしたか?最高でした。しかしその事に気付いたのは初期研修が終わる頃で、もっと言うと今その思いをさらに強くしています。僕は、他人より文句が多い方なので研修中は色々な不安や不満がありました。うちは指導医が充足しておらず、手技、検査に関しても見る事さえできないものがたくさんありましたから。また、僕には同期が3人いて、うちとしては多い方なのですが、それでもやっぱりもっと同期がいると楽しいだろうなとか考えていました。それでも、うちで働き、地域を守っている先生方や、小さな組織だからこそできる問題点の迅速な改善、そしてその主役になれること、とかの良さが少しずつ少しずつ理解できるようになっていきました。
─ 後期研修も川崎協同病院に残り、外科医を目指した理由は?学生時代は小児科医もしくは研究者になりたかったんですが、医師を始めた時は本当にまっさらで、「将来の専門科がどうか」とかよりも、「きちんと2年間の初期研修を終わらせられるか?」という不安が先にきて、最初の半年は目の前の事で精一杯の日々でした。内科研修が終わる頃には感染症に非常に興味があって、感染症の専門医になるつもりで、後期研修はどこでしようかと考えていました。そんな時、外科研修で再び和田先生はじめ当院の誇る外科の先生達と出会うわけです。うちの外科は地域の中にあって、一般的な外科疾患はもちろん、癌のターミナル、(当時の消化器内科の体制のため)消化器内科疾患、さらにはショートステイまで守備範囲が広く、そしてもちろん手術もきちんと行っているという、まさに地域の一般外科を地でいっているようなとこでした。そこで地域のニーズに応え続けている、人間的にも魅力的で医師としても確かな先生方を見ていて、この人達と仕事がしたいと思うようになり、自分でもかなり意外でしたが外科を志すようになりました。もとを正せば僕はブラックジャックに憧れて医師を目指したので…ふりだしに戻るみたいな感覚もありました。彼は外科医でしたしね。
─ 今後のキャリアプランは?自分の興味関心から専門科を決めて専門医、指導医と資格をとって行く、みたいなキャリアプランも大事だとは思うのですが…、僕がこの病院で学んだ最も大事なことは、どんな環境にあっても必要とされる事に応えていこうとする姿勢です。そういう姿勢は自分に信念がないように見えるかもしれませんが、決してそんなことはないと思います。むしろ自分の興味関心のみに邁進するよりも困難なことだと感じています。今後、基本は外科医としてですが、自分が身を置く場所で求められるものを身につけ続けていきたいと思っています。もちろん、個人的に興味のある分野はありますけどね。
─ 最後に、医学生の皆さんに対してアドバイスをお願いします。これは今までの人生で個人的に感じている事なのですが…、自分のやりたいことだけをやってそれが仕事になる人は天から与えられた運と才能を持ち合わせた希有な人だと思います。医師の世界にはそういった方々が普通の世界よりも多い気がしますが、「職業」のことを英語で「calling」と言うように、基本的には仕事は誰かの要求があって成立しているものだと思います。何をやりたいか迷って分からない人は、まず現場に飛び込んでみてその中にある数多の要求から自分に応えれるもの、応えたいものを探すのも良いかもしれません。当院には地域の医療に対する要求が溢れています。是非一度見学に来てみて下さい。
取材日:2013年2月11日